推古天皇二年(五九四)信濃国の智春上人が浮浪(ふろう)の瀧(たき)にて、推古天皇の眼病平癒(へいゆ)を祈願、巖間より漏出する霊水を奉ったところ、忽(たちま)ち霊験顕(あらわ)れて平癒なされました。この聖浄域に堂宇を建立し、世に療眼領と称する直江・国留・宇賀の三郷を賜わり、勅願寺と定められたのが創まりです。
大河と雖(いえど)もその源は、か細いせせらぎです。人は困難に遭遇した時、その原点に戻って、その依って来たる因を考えます。鰐淵寺は修験信仰、観音信仰、薬師信仰の三つから生じた寺であり、その何れも浮浪の瀧を中心とした信仰を基盤としています。