峯寺は1,350年ほど前に弘法大師が真言密教相応の地としてこの地を選ばれ、密教の道場をここに開きました。中世、毛利・尼子などの領主の尊崇を受け、祈願所として栄えてきました。また、出雲大峯として広く尊称され、盛期には全山42 坊を整え、近隣諸国の山伏を統括していました。明治維新の神仏分離により衰退しましたが、今でも出雲大峯と尊祟され、1,300年の法灯を今に伝えています。奥出雲に春を呼ぶ「花の法要、火祭り柴燈大護摩供養」では、大和の大峯山にて修行した20名の山伏により執行され、たくさんの参拝者で賑わっています。